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世界と日本の映画技術史 |
1889 |
アメリカのト―マス・エジソン研究所がキネト・グラフ(のぞき箱式の映画)を発明
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1897 |
インドのボンベイで記録映画の撮影開始
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1899 |
吉沢商店が国産の映写機を発売する
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1902 |
フィルムの平均の長さが50フィート(15m)から、600フィート(183m)に伸び、さらに長時間の物語展開が可能になる
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1903 |
着色方式によるカラー映画、パテカラー作品、東京で公開
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1906 |
東京・真砂座で染色機応用極彩色活動写真(パテ―カラー)『ドン・キホーテ』その他を上映
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1907 |
大阪で最初の映画館が発足
インドのカルカッタで、J・F・マダンが映画興行チェーンを展開
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1908 |
吉沢商店、東京目黒行人坂に日本で最初の撮影所を建設、劇映画の作成を本格化
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1912 |
日本活動写真株式会社(略称:日活)、既成四社の合併による日本で最初の大手映画会社として発足
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1913 |
日活向島撮影所建設
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1914 |
小林喜三郎ら、天然色活動写真株式会社(通称:天活)を創立
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1917 |
下川凹天ら、天然色活動写真株式会社で日本で最初のアニメーション映画を作る
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1918 |
インドにて、映画法制定、検閲制度が確立
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1919 |
ソビエトの映画産業が国営化され、モスクワに世界初の映画学校である全ソ国立映画大学が設立される
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1920 |
国際活映株式会社(通称:国活)創立
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1922 |
アメリカのテクニカラー映画「海の関所」がニューヨークで公開
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1923 |
横浜シネマ商会創立。記録映画、教材映画、アニメーション映画などの分野で大きな役割を演じることになる
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1925 |
アメリカにて、チャールズ・チャップリンが「黄金狂時代」を公開する、彼の作品中最も成功した伝説的作品となり、サイレント映画の中でも最高レベルの興行収入を上げている
東京放送局(NHKの前身)がラジオ放送を開始
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1926 |
ドイツのUFA社でF・W・ムルナウが見事な映像表現の「ファウスト」を製作する
アメリカで作成された「ダグラスの海賊」は赤・青2色分解方式のテクニカラー(総天然色)で撮影された 初めての映画であり、当時この工程処理はたいへん高くついた
衣笠貞之助が衣笠映画聯盟を設立、前衛的な映画の製作を目指す
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1927 |
皆川芳造、最初のトーキースタジオ昭和キネマを設立。トーキー映画の試作にかかる
ハリウッド映画「つばさ」が、第1回アカデミー賞において、初の最優秀作品賞と技術効果賞を受賞、クライマックスのシーンでは、高さ75フィート(約23m)の足場を作り、そこに15台のカメラを配置したとされる
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1928 |
ハリウッドではトーキーへの移行が本格的に始まるが、キング・ヴィダ―の「群衆」など、サイレント映画の最後の傑作群が世に出る
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1929 |
イギリスでアンソニー・アスキス(1902-68)が傑作『ダートムアのコテージ』を、いまにも消えなんとするサイレントで制作する
アメリカの本格的トーキー作品「進軍」、新宿武蔵野館で公開
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1930 |
ロシアのヴワディスワフ・スタレーヴィチ(1882-1965)による「狐のルナール」(狐物語)が ストップモーションの技術を成功させた好例となった
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1931 |
フリッツ・ラングのスリラー映画「M」がドイツで公開、費用削減のため音声付きは全体の3分の2だけだが、革新的なボイスオーバー・ナレーションだった
インドにて初のトーキー映画「アーラム・アーラー」が完成
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1932 |
日本にて、写真化学研究所、トーキー・スタジオを建設
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1933 |
日本にて、太秦発生映画株式会社創立
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1934 |
日本にて、富士写真フィルム株式会社設立され、映画用35ミリ・ポジフィルムの国産化が開始された
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1935 |
日本にて、極東現像所(のちの東洋現像所、現IMAGICA)設立総会が行われた
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1936 |
日本にて、NHKが円盤録音機による放送を行う
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1937 |
東京・浅草に浅草国際劇場(定員4059人)開場、レビュー兼用でかつて最大の映画館であった
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1938 |
収益を上げるために、ユニバーサル社が「魔人ドラキュラ」と「フランケンシュタイン」を2本立てで再公開する
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1939 |
「オズの魔法使」が、第12回アカデミー賞の特殊効果賞にノミネート、モノクロの世界から、まばゆい色彩の世界への転換に驚かされる、当時では珍しいカラーフィルムや特殊効果が素晴らしい
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1940 |
日本にて、大手新聞4社のニュース映画部門が合併して日本ニュース映画が発足
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1941 |
日本全国の映画館でニュース映画、文化映画の強制上映が実施される
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1942 |
新興キネマ、大都映画、日活の製作部門が合併して大日本映画製作株式会社(戦後の大映)発足
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1945 |
「白い恐怖」が、第18回アカデミー賞の特殊効果賞にノミネート、奇抜でシャープな悪夢のシーンは見る者の脳裏を刺激した
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1949 |
富士フィルム、映画用35ミリ・カラーフィルム、フジカラー発売
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1950 |
富士フィルムのカラーフィルムが日映ニュース「第208号」に使用される
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1951 |
日本最初のカラー劇映画「カルメン故郷に帰る」公開
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1952 |
アリフレックス撮影機が使われはじめる
第1回インド国際映画祭が開催された
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1953 |
日本にて、NHKテレビの本放送が開始された
イギリスにて、エリザベス2世の即位を記念し、記録映画「女王戴冠」が製作される
ジョージ・パル監督の「宇宙戦争」が、第26回アカデミー賞の特殊効果賞を受賞、デジタル技術もCGもない時代の手作業のSFXで撮られた映画だが、シーンによっては現代の技術に負けない仕上がりである
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1954 |
国産8ミリ・カメラ、シネマックス8A発売。2万2500円
8ミリ映写機が発売される
インドにて、第1回インド国際映画祭が開催された
東宝の特撮技術をフルに生かすための作品として「ゴジラ」が作成された。ゴジラの着ぐるみの中に人間が入って大胆に四肢を動かし、迫力のある動きを再現することに成功
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1956 |
セシル・B・デミル監督の「十戒」、第29回アカデミー賞の特殊効果賞を受賞、モーゼが紅海を分けるシーンに多重オプチカル合成を利用している
東宝がゴジラに次ぐ本格的な怪獣映画として「空の大怪獣ラドン」を制作、初めてのカラー怪獣映画として迫力のある作品となった
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1957 |
国産8ミリ・カラー・フィルム富士ASA10発売、現像こみ、1750円
初めてカラーで撮影されたイギリスのホラー映画、ハマー・フィルム・プロダクションの「フランケンシュタインの逆襲」が公開される
東宝より、総天然色シネマスコープ空想科学映画「地球防衛軍」製作、宇宙ステーションやロケット、円盤、戦車、ロボットなどが画面狭しと暴れ回る
大映の「透明人間と蠅男」、特殊技術を担当した的場徹は、マット・プロセスやシュフタン・プロセス等の撮影技法を駆使して作品を作り上げた
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1958 |
大映が映画「日蓮と蒙古大襲来」を制作、日本映画全盛時の、膨大な数のエキストラによる大モッブシーンが迫力のある映像となっている
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1959 |
松竹と東宝がそれぞれニューヨークに事務所を設立する
第33回アカデミー賞の特殊効果賞を受賞した「タイム・マシン」、未来の世界での核戦争シーンは、ミニチュア・ワークスの大スペクタクル、溶岩はオートミールを使用するというアイデアも秀逸
東宝が初めて挑んだ宇宙空間を舞台とする近未来科学戦争絵巻「宇宙大戦争」、映像の魔術師・円谷英二の力作
東宝製作の映画「日本誕生」で新開発の国産光学合成装置が駆使され、三重、四重に溶岩や炎の合成処理が丹念に施された
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1960 |
劇場用長編日本映画作成本数は547本(うち、カラー239本)、日本映画史上最高。当時、世界最高でもあった
インドのプネーにインド映画研究所(のちの映画TV研究所)設立
東宝の日米合作映画「大津波」、東宝特撮スタッフが最大のスケールで描いた作品だが、日本ではほとんど公開されていないため幻の映画ともいわれる
東宝の製作した「太平洋の嵐」は、ダイナミックな特撮が実写以上にドラマチックな戦場場面を再現し、戦記映画の中でも最高峰といえるだろう
「ガス人間第一号」は東宝製作のSF映画、ガス人間の屈折した心理描写をたくみに表現した秀作
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1961 |
ハリウッドにて「ウエスト・サイド物語」が公開、ミュージカル史上最多となるアカデミー賞10部門受賞
第34回アカデミー賞特殊効果賞を受賞した「ナバロンの要塞」、特筆すべき特殊効果は、嵐の中で船が難破する時、凄まじい風雨がレンズに叩き付けて画面が水浸しになるところであろう
東宝の特撮映画「モスラ」製作、これまでの路線とは打って変って、現代の夢物語としてのファンタスティックな怪獣映画であった
大映「釈迦」製作、製作費7億円、多様な特撮シーンも見事、日本初の70ミリ映画として大きくその名をとどめた
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1962 |
東宝が「キングコング対ゴジラ」製作、アメリカ映画の怪獣王キングコングとの夢の対決が、日本を舞台に繰り広げられる。すでに完成の域に達したミニチュアワークで緊迫感を盛り上げる素晴らしい特撮技術が見られる
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1963 |
東宝による映画「海底軍艦」製作、軍艦の威容を表すため、人間との合成を一切用いず、軍艦のミニチュアとそれに絡む水・煙・大気によってその重量感を描き出した
台風そのものを一つの映画の中心に本格的な特撮をもって表出した作品として、大映の「風速75メートル」が製作された
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1964 |
東宝が「モスラ対ゴジラ」製作、モスラの細かい動きはラジコン操作によるもので、ゴジラの方もラテックス製のぬいぐるみを使用して軽快な動きを演出した
「三大怪獣・地球最大の決戦」で、キングギドラが初登場、ゴジラ・ラドン・モスラを相手とする決戦シーンは息をのむ迫力、東宝特撮陣が持てるミニチュアワークと操演技術を最大限に駆使した作品
大映がアメリカのハロルド・ヘクト・プロダクションと合作した大作「あしやからの飛行」、巨大セットに合わせて作られたミニチュアワークが、目を見張る完成度であった
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1965 |
007シリーズの第4作「007/サンダーボール作戦」が、第38回アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞、ジェットパックに水中戦車、水中スクーターと大がかりなメカが迫力満点
「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」製作、フランケンシュタインの身長の設定上、ミニチュアの縮尺サイズを1/12と、従来の倍にしたことで、細部まで克明なミニチュアを使用することができた
大映の特撮怪獣映画第一弾として放たれた「大怪獣ガメラ」は、興行的にも怪獣映画としても大成功を収めた
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1966 |
「ミクロの決死圏」が第39回アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞、まるで絵画のような人体の内部をデザインしたのは20世紀最大の芸術家サルバドール・ダリで、ダリならではの幻想的でシュールなデザインをリアルに映像化している
大映が「大魔神」製作、4.5メートルの魔神が、精密なミニチュアの家屋をぶち壊すクライマックスシーンが素晴らしい作品
「大魔神」のヒットを受け、続編「大魔神怒る」も制作、前作よりもさらに特撮技術が進化し、三重四重の合成カットが使用されている
ガメラ第二作「ガメラ対バルゴン」製作、前作で見せたあの大映独自のアイデアの奇抜さと特撮技術の秀逸さは見事受け継がれており、シリーズの中では出色の出来ばえ
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1967 |
日本ビクター、VTRを開発
松竹が初の怪獣映画「宇宙大怪獣ギララ」製作、湖が煮えたぎるシーンの特撮は、化学合成で焼きこみ、二重合成をしたものだった
怪獣親子の愛情をテーマにした「大巨獣ガッパ」が日活の初の怪獣映画として製作された、ガッパが街を上から見下ろした形で破壊していくシーンはよくできたミニチュアセットでリアルな雰囲気があった
大映の「大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス」、ガメラの吐く光線は、フィルムに直接キズをつけ、色テープを貼るという独自の方法をとっている
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1968 |
「2001年宇宙の旅」が公開される。スタンリー・キューブリックが作家のアーサー・C・クラークと組んだ、究極のSF映画と称される作品である
第41回アカデミー賞特殊視覚効果賞を受賞した「2001年宇宙の旅」、スタンリー・キューブリックが作成に4年もの期間を費やしたSFX映画の大作
大映のガメラシリーズ「ガメラ対宇宙怪獣バイラス」製作、今作より初の宇宙怪獣が登場
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1969 |
ソニー、VTRを開発
松下電器、VTRを開発
「緯度0度大作戦」が東宝により制作、この作品の特撮で注目すべきは、巻頭に描かれる海底火山爆発の見事な造形である
東宝「日本海大海戦」は、横須賀市に保存されている戦艦三笠を使用したロケシーンと、プールで撮影された海戦シーンが大胆に合成され、息を呑む迫真の画面が作り上げられた
大映の特撮戦記映画「あゝ、海軍」、全編の5分の1を海空戦の特撮が占めており、スピード感のあるシーンが描き出されている
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1970 |
ハリウッド映画「大空港」が、爆弾を乗せた旅客機とメロドラマと災害とテロリズムを融合させる
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1971 |
大映(大日本映画製作株式会社)破産
大映「大魔神逆襲」製作、前2作より特撮シーンを多くし、破壊ショットも今までにない手の込んだ画面を見せている
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1972 |
映画製作会社、南オーストラリア・フィルム・コーポレーションが、オーストラリアに設立される
第45回アカデミー賞特別業績賞(視覚効果)を受賞した「ポセイドン・アドベンチャー」、大津波で船体がひっくり返る瞬間はスタントと特殊効果が絶妙に絡み合い、息をするのも忘れてみてしまう超大作
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1973 |
東宝による映画「日本沈没」、中野昭慶が特撮監督となって以来、初めて手がけた特撮スペクタクルの大仕事であった
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1974 |
8ミリ映画のブーム、日本国内でカメラが年間32万4000台売れる
東宝が「ノストラダムスの大予言」製作、人類を絶滅においやるというプロットを用い、特撮はその要所要所に挿入された
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1975 |
アメリカにてスティーブン・スピルバーグ監督作品の「ジョーズ」が初の興行収入1億ドル突破、社会現象となった
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1976 |
アメリカのパラマウント社がメジャーな撮影所では初めてビデオでの映画の販売を許可する
第49回アカデミー賞特別業績(視覚効果)賞を受賞した「キング・コング」、全長18メートルの機械仕掛けの実物大キング・コングが登場
「2300年未来への旅」が第49回アカデミー賞特別業績(視覚効果)賞を受賞(「キング・コング」と同時受賞)、老いと死という深いテーマを持つSF超大作
東宝製作の「大空のサムライ」、ミニチュアのちっぽけな零戦が俳優顔負けのリアルな“演技”を見せてくれ、素晴らしい特撮シーンとなっている
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1977 |
日本での8ミリ・カメラの生産ピークに達する、161万台
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1978 |
東映セントラル・フィルム発足、低予算の野心作の製作をめざす
第51回アカデミー賞特別業績(視覚効果)賞を受賞した「スーパーマン」、アメコミ映画ブームの原点ともいえる作品、スーパーマンを飛翔させるシーンは困難を極めた
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1979 |
映画「エイリアン」が、第52アカデミー賞の視覚効果賞を受賞、H・R・ギーガーのデザインによるエイリアンはインパクトが大きく、後のSF映画に多くの影響を与えた
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1980 |
インドの映画金融公社と映画輸出公社が合併し、映画振興会社になる
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1982 |
第55回アカデミー賞視覚効果賞にノミネートした映画「ブレードランナー」、ミニチュアの都市を65ミリのネガで撮影されたこの映像には、CGとは違う手作りの良さがある
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1983 |
日本にて、VTRの普及率が23%に達する
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1984 |
NHK衛星テレビ放送開始
アイヴァン・ライトマンが「ゴーストバスターズ」を監督、コメディと特殊撮影を融合させて大成功を収めた
第57回アカデミー賞視覚効果賞にノミネートした「2010」、これは「2001年宇宙の旅」の続編でありながら、アクション映画という異色作で、予算も時間もなかったスタッフの工夫が随所でみられる
映画「ゴースト・バスターズ」が第57回アカデミー賞視覚効果賞にノミネート、かわいい顔して街を破壊するマシュマロマンが強く脳裏に焼き付く
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1985 |
第一回東京国際映画祭開催
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1986 |
第59回アカデミー賞視覚効果賞にノミネートした「リトルショップ・オブ・ホラーズ」、宇宙吸血植物が歌って踊る異色のミュージカルコメディ、低予算ながら随所に工夫がみられる
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1989 |
ソニー、アメリカの大手映画会社コロンビアを46億ドルで買収
NHKが衛星放送を開始
第62回アカデミー賞視覚効果賞を受賞した「アビス」、壮大な物語の映像化のため多種多様な視覚効果が全編に投入されているまるでSFXの見本市のような作品
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー・パート2」が、第62回アカデミー賞視覚効果賞にノミネート、マイケル・J・フォックスが一人3役で演じている登場人物が、ビスタグライドというシステムを使用して同一画面に登場するシーンに驚かされる
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1990 |
松下電器、アメリカのMCAを61億ドルで買収
第63回アカデミー賞視覚効果賞を受賞した「トータル・リコール」、7000万ドルをかけた超大作だけに、次から次へとSFXや特殊メイクなどの見せ場が出てくる
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1991 |
第64回アカデミー賞視覚効果賞にノミネートした「バックドラフト」、火災現場の映像は実際の炎と、わずかなCGでリアリティを追求した。骨太なストーリーに引き込まれる名作
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1992 |
インドにて、ヒンディー語による衛星放送「ZeeTV」開局
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1993 |
にっかつ倒産。1912年創立の世界で最も長い歴史を持つメジャー映画会社のひとつがこれで歩みを止めた
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1995 |
ピクサー社の「トイ・ストーリー」は、CGI(コンピューター・アニメーション)を用いたアニメーション映画の先駆けとなった
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1997 |
インド初のシネコンがニューデリーにオープン
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1999 |
ハリウッド映画「マトリックス」では、時間の流れを遅くし、CGによる仮想現実感を追及している
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2000 |
インド映画「ラガーン」が、アカデミー賞外国語映画賞にノミネート
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2004 |
オーストラリア出身のジェイムズ・ワンが、独創的で身の毛のよだつ「ソウ」シリーズの1作目を監督する
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2007 |
ギョーム・カネ監督が「唇を閉ざせ」で、フランスらしさとジャンルの鉄則を見事に融合させる
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